すごい器用な人

頑張ってて偉いとか、そういわれるのはなんか違う気がしている。うまくできないから悪戦苦闘して、それが表に現れてるだけなんだろうと思う。だから荒々しく見えているだけ。どっちかっていうと、それってまだまだってことじゃないかと思うんだ。

本当にすごい人はその人の性質に溶け込んでるから、いつも表面は穏やかにしかみ見えない。強いんだけど表質的にはそう見えない不思議な人がいる。

すごい器用な人と私の目には見えた。物事を荒立たせることはなく、逆に緩和してるんじゃないかと思えるほど。そんな器用な人そうはいないと思う。いままでそこをカバーしている人自体見たことないもの。まあそりゃ自分との関わりの世界での話なんでね。だけど、今のように相手してもらえる位置にいたことがないのは事実。

私が気を荒々しくしててもその方を通すとこっちも気配が穏やかになるんで、じゃどう対応していきましょうかという作戦会議が始まる。そういう感じで仕事できる場があるって幸せなことだと思っている。


で本題。
教師本の参考書籍リンクでこちらの本を読んでみました。

アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)

アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法 (講談社現代新書)

そして思ったと。アサーションというのかと。すごい器用な人ということばの代わりに使えそうだなと。


私はまだまだなんでねそうできるようになりたいと思う。私らしく、ね。

関わりの中で自分がいるのだから。関わりの中で自分も相手のこともだんだん見えてきたりする。ま、そのためには安全領域が必要なんよね。その上でそっちに気づく余裕ができる。今は安全領域はあるものとしていける。だから安定して維持していけるようになりたいと思う。まだ余裕がなくなるとあやしくなるから、うまく対応していけるように、それに気づけるようになりたいと思うんだ。